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芭蕉布(ばしょうふ)というと沖縄特産の織物で、芭蕉という木の繊維を糸にして作られます。ちなみに実(み)芭蕉という木が、島バナナのなる木です。
この芭蕉布、ごわごわの肌ざわりというイメージがありますが、実は超高級品は絹のようになめらか!東京国立博物館に、王国時代の士族が着た芭蕉布が残されています。
これは「黒朝(くろちょう)」という名前で知られている着物で、黒色になるまで藍(あい)で染めた布はテカテカと光沢があるのです。
この布は極細の糸を使ったもので、現在の技術では作れないそうです。この芭蕉布、別名「絹芭蕉」というそうですが、ナットクですね。
沖縄には古くから伝わる独特の信仰が根付いています。そしてその拝所が「御嶽(ウタキ)」といわれている聖なる場所、いわば「パワースポット」ですね。沖縄全域にこうしたウタキがありますが、その内部には立派な神殿や神の像などはありません。「イビ(イベ)」と呼ばれる自然の岩石や、何もない平場だったりします。かつて芸術家の岡本太郎がウタキを見て何もない空間であることに驚いたエピソードは有名ですね。
実はこのウタキ、王国の書物『琉球国由来記』に出てくるウタキだけで1000、現在はさらに2000もあると言われています。沖縄はそこら中が「パワースポット」であるといえるのかもしれません。
そして、その2000以上あるウタキのなかでもさらに群を抜いて格式の高いとされているウタキが「七嶽(ななたけ)」です。これらのウタキは琉球の創世神話に登場する場所で、創世神アマミキヨが琉球の島々へ降り立った際、最初に作った7つの聖地であるとされています。
・安須森御嶽(国頭村)
・今帰仁のカナヒヤブ(今帰仁村)
・久高島クボウ御嶽(南城市)
・斎場御嶽(南城市)
・玉城のアマツヅ(南城市)
・ヤブサツの浦原・知念森(南城市)
・首里森・真玉森御嶽(那覇市)
皆さんもぜひ、この7つのスーパーパワースポットを訪れてみてくださいね。
沖縄の古い時代の男性の髪型は「カタカシラ」といいます。本土のチョンマゲとちがい、総髪のまま(実際は頭のてっぺんを少し剃っていますが)で頭の上にマゲを結う沖縄独特のやり方です。
ところが!この髪型は近世(江戸時代)に入ってからのもので、それ以前の時代には、なんと頭の左側に髪を結っていました(画像)。何だか見慣れない髪型ですが、実は絵描きで有名な雪舟というお坊さんが中国に留学した際、琉球人をスケッチしていて、それが京都国立博物館に残っているのです。今から約500年前の絵です。
どうやら頭の片側に髪を結っているから「片髪(カタカシラ)」と呼んでいたみたいです。それにしても面白い髪型ですね。
世界遺産のグスク。その石垣は曲線を描き、とても見事です。
グスクの石垣の積み方は3種類あります。
まずは【野面(のづら)積み】。自然石をただ積んだだけの素朴な石積みです。
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次は【布積み】。加工した長方形の石をレンガのように積んだもの。

そして最後に【あいかた積み】。多角形の石をかみ合わせた高度な石積みです。

じつは、石の積み方で、そのグスクが古いのか新しいのかが判断できるんです。古い順に、【野面積み→布積み→あいかた積み】となっています。
ぜひみなさんもグスクを訪れた際には、石垣の積み方に注目してくださいね。
首里城正殿は沖縄県内でも最大の木造建築です。この建物の柱、じつは丸くない柱があったりします。
その場所とは、正殿2階の御差床(うさすか)と呼ばれる中心部分です。よーく見ると、なんと柱は、だ円形!
こうした柱のかたちは琉球独特のもので、他のアジアの地域には見られないそうです。それにしても、なんでこんな変な形にしたんでしょうね。
沖縄県は昔、琉球という独立した国でした。明治12年(1879年)に日本の一県に取りこまれ、「琉球」から「沖縄」と呼び方が変わります。
では、沖縄の本来の名前は「琉球」なのでしょうか。
実は「琉球」という名前は中国側で名づけられた名前で、それ以前の沖縄に住む人々は、自分たちの島を「おきなわ」と呼んでいました。つまり「沖縄」の呼び方のほうが古い呼び方なのです。
ただし、中国から名づけられた「琉球」という呼び名を、やがて沖縄の人々はみずから名乗るようになっていきます。「琉球」は沖縄の人たちも認める名前になったのです。
琉球も沖縄はどちらが正しいということではなく、どちらの呼び方も伝統ある呼びかたなんですね。
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豊臣秀頼といえばあの豊臣秀吉の息子で、大坂の陣で徳川家康によって滅ぼされたといわれています。
しかし当時、世間では秀頼が大坂城を脱出し、琉球に潜入しているとのウワサがまことしやかに流されていました。家康も本気でそれを心配していたほどです。
1614年、琉球を訪れたイギリス人のウィリアム・アダムス(三浦按針)は、大坂の陣で落ちのびてきた「位の高い人」が首里に隠れているとの情報を入手しています。
さて、真相はいかに。
参考文献:上里隆史『目からウロコの琉球・沖縄史』


















