戦後復興の先がけとなった「平和通り」には王国時代から変わらないスタイルが残る

 

戦前、安里・牧志の一帯は湿地帯で、時には追いはぎが現れるなどともいわれた寒村でしたが、戦後は沖縄復興の中心地として栄えています。
1944年の空襲で那覇が灰と化した時、ヤチムン(焼物)の町・壺屋には修復すれば暮らせそうな家が十数軒、形をとどめていたといいます。かつて琉球王府が用意した窯も残りました。
壺屋に市役所や警察署、配給所ができ、近隣には映画館や劇場、市場が。その始点には壺屋の町があり、ヤチムンがあったのです。