首里系と浦添系に分かれた王家。その間に築かれた石畳道は今でも残っている

 

首里城と浦添城を結ぶ道は、尚寧王の時代に築かれたものです。
王族・尚家が首里系と浦添系に分かれておよそ100年。二度と王位に就くことはないと思われていた浦添尚家でしたが、首里尚家の世継ぎが絶えたことをきっかけに、再び首里城へ返り咲きます。期せずして王となった尚寧は、自らの出自である浦添グスクへの利便のために、立派な石畳道を築いたというわけ。
しかし、それは皮肉にも、琉球に攻め入ってきた薩摩軍の侵攻ルートとして役立つ結果ともなってしまいました。
今でも石畳道はある程度の姿を残しています。